12 職人から税理士を目指すキッカケになった父の話

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なぜパン屋を辞めたのか。パン職人3年目21歳になってすぐの時に、当時60歳(くらいだったかな?)の父が他界しました。

うちの父は、身寄りのない方をサポートする老人ホーム

『勇者の園』(ゆうしゃのその)の代表でした。

ちなみに、うちの実家は品川区の西大井にあるのだが、そこは『勇者の園3号館』という名称になっていて、高校時代に原付きの免許をとると、その名称が免許証に記載されるのが恥ずかしくてしょうがなかった。

その老人ホームのビジネスモデルは単純にいえば、身寄りのない老後が心配な高齢者の方の息子がかわりになってあげる、というもの。

一生面倒見る代わりに、お持ちの財産の一部は会に預けてくださいね。という。

その方が、1億や2億でも持っているなら話は別だけど、一千万やそこらの財産なら絶対に赤字になるに決まっているわけです。

経営的なセンスが父にあっとは思えない。
ただし、父は信じる道があったように思えるのです。

父は20代前半は証券会社で働いていて、その後若くして大病(病気はなにかわかりません)を患ったらしく、その時に沢山の人に助けてもらった経験から、何か社会のために貢献できる事はなんだろう?という思いを持ち、20代後半から老人ホームの原型の様な事業活動をしていた(らしい)のです。

自分が子供の時には、東京都議会議員と品川の区議会議員に立候補したこともあった。

共に無所属で出馬し落選していたけれど。。。

ただ、なにか社会をどうにか良くしたいという気持ちは強かったのだと思います。

そんな父が情熱に燃えて仕事をしていた姿が自分の記憶にあるのは、実は10歳前後くらいまで。その後自分が中学生になる頃バブルが弾けました。

事業は基本的には身寄りのない高齢者の方に住んでもらう居住スペースを確保しなければならない。

なので、金融機関からの借入を元手に不動産を購入していました。

バブルが弾ければどうなるのか。負債の残高はそのままで、不動産の価値は10分の1以下に。詳しい金額は聞いていないですが、会社のバランスシートは、不動産の資産と金融機関からの負債の両建てだったわけだから、一瞬でハイパー債務超過というわけです。

 最大で、事業の負債は10億近かったらしいですが。。。

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