14 妻敦子(あつこ)のこと
うちの父は自分が21歳の時に他界しています。
今自分が36歳になるので、もうなくなってから16年目になるという事です。
父がなくなった時にパン屋だった自分は、その後簿記の3級から勉強をはじめ、税理士試験を勉強し、試験勉強を続けながら大原簿記学校の税理士講座法人税法課の講師を3年し、その後税務コンサルの会社と、赤坂の税理士法人で計6年の実務経験の後、2013年に独立します。
その独立から2年さかのぼった2011年に妻敦子と結婚して今に至ります。
実はうちの父は大変筆まめな人で、自費出版で兄と自分と、この後生まれてくる妹のために、『息子たちに』という、父と母の馴れ初め話の本を書いているのです。
この本は父が36の時に書いた本で、奇しくも失敗の教訓として見ていた父と同じ36歳で、自分も本を出版することになったのです。
クラウド会計ソフトfreee(フリー)の本は、大きな出版社からの依頼で執筆したのに対して、うちの父の本
『息子たちに』の想定読者は3人だけです。兄と自分と妹。
でも、出版から30数年たった今、その本を妻の敦子と何度も読みなおしては、父の話をするのです。
自分が前職の税理士法人を辞めて独立しようと決意した時に、こんなエピソードがあります。
正直言って辞める最後の1年くらいは、その税理士法人で会計税務の仕事をしていて、何の為に自分は生きているのかわからなかったのです。
確かに上場企業の節税スキームや高級住宅地に住むマダムの節税対策をして、金額のインパクトは大きかったけれど、自分が生きている意味がわかりませんでした。
アンパンマンのテーマソングの一節 『何のために生まれて何をして生きるのか答えられないなんてそんなのは嫌だ』というは、当時の自分にはとても胸に刺さったのです
そして、悩んでも結論が出ずに深酒をしていた時に、敦子に
『今のままで死んだら、将来生まれてくる二人の子どもや、父に顔向けができない』
と泣きながら、語っていたそうです。
※自分の記憶は酒がまわっていて言ったような言ってないようななのですが・・・
そんな時に敦子は、お父さんの背中みて歩んできたのだから絶対大丈夫!と背中を押してくれたのでした。
父の意志を息子が受け取って、その本の話を敦子とし、また次の道筋が見えてきたのです。
父がなくなった当時からほんの数年前までは、父の道は失敗の教科書の様な扱いでした。父の失敗を繰り返さないために自分は会計の専門家として10年以上生きてきました。
ただし、会計の仕事で感じたのは、結局自分は何をしているんだろうという感覚でした。
その時に感じたのは、会計はどんなに頑張ってもディフェンスです。
もちろんディフェンスは極めて重要だけれど、ディフェンスが100人集まってても点数は取れない。
自分の人生は、最初パン屋で何かを作るという仕事から、父の背中を見て、守りの業界に身をおくようになりました。
でも10年以上経って、「情熱があっても資金が無いとダメだけれど、
資金があったても、情熱がないなら、それはもっとダメだ」ということを、父の本を何度か読みなおしていくうちに、そして、父が本を書いた歳に近づけば近づくほど理解できてきているなと実感したのです。
だからこそ、 会計の業界にいるなら、会計のフローを変えて、本業にフォーカスさせようとうfreeeの開発哲学には、共感するものがあるのです。